関の氏神

亀山八幡宮

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林芙美子文学碑


林芙美子自筆

花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき

郷土出身の女流作家「林芙美子」を顕彰し、昭和41年に建てられました。

林芙美子は、明治37年(1904)12月31日に下関市田中町の五穀神社横にあったブリキ屋の2階で生まれました。(田中町・五穀神社境内には「林芙美子生誕地の碑」があります)

出生地については、尾道・門司・鹿児島などの説がありますが、自伝的作品「放浪記」には、「私が生まれたのはその下関の町である」とあります。


五穀神社(田中町)。鳥居右が「生誕地の碑」

林芙美子著放浪記之一節



幼いときは母とともに北九州の各地を転々とし、小学校1年のとき下関へ帰り名池小学校に入学し4年生まで通っていました。

その後も各地を転々とし、大正7年15歳のとき尾道市の市立高女へ入学。苦学しながら尾道高女を卒業したのち大正13年21歳で上京。

いろいろな職業を経験しながら文学への夢を育てその下地を作り、昭和3年「放浪記」で作家としてデビュー。それ以降、女流作家として「浮雲」「晩菊」などを発表。

昭和26年3月、朝日新聞に「めし」の連載を始めましたが、6月28日連載中に48歳で急死。

この碑は前面水辺に、市内内日産出の菊石で作った筆塚・紙塚を置き、囲いは長府塀様式。瓦は徳山瓦を用い郷土色豊かに構築されています。

中央には林芙美子自筆の「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」の一文が刻まれています。


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