関の氏神
亀山八幡宮
下関の稲荷町(現在の赤間町)は、遊女の里として全国的に有名でした。 稲荷町の遊郭は他国とは異なり、特別の格式を持ち、気位が高かったといわれています。 女性は女郎と称され、客よりも上座に座り、他では許されていなかった足袋をはくことが認められていました。 芸妓に秀で教養もあり、しとやかで衣装も古式。芝居も演じたといわれていますが、このことは、女郎が平家官女の血をひくことを意味していると伝えられています。 稲荷町9軒の遊郭の中で大坂屋は最も大きく、ここの一番の売れっ妓が「玉紫」という大変慈悲深い女郎であったといわれています。「大坂屋玉紫文化九壬申九月吉日」(文化九壬申=1812年)と刻まれたこの玉垣から、信心深く大金を寄進したことがうかがえます。